樹木葬 永代供養 ペットと一緒に入れるお墓

お骨を森林の中に埋葬する樹木葬という永代供養のかたちを静岡県の街中で。ペットとも一緒のお墓に入れます。

人生訓と格言

自分の生き方に迷いや疑問を感じたとき、偉人たちの言葉があなたの支えとなります。
それぞれ下記をクリックしてご覧ください。

        

格言あ

「ああせよ」と、口で言うより「こうせよ」と、してみせるこそ教えなり。

してみせ実行してみせなければ教えというものは役に立たない。頭で理解したらそれが悟りではなくて、それを知ったならば実行するところに悟りがあるという教え。

挨拶は、心の窓口。真心こめて相手を見よう。

挨拶が、ただの習慣になっていませんか?挨拶は、ただ声を出せば良いわけではありません。心がこもっていないようなら、相手はそれに気づくものです。

商売(あきない)などは、易(やす)きもの、より良い品をより安く、客を大事にすれば成るなり。

こうした当たり前の事が信頼関係を築いていく。ただし、当たり前の事を当たり前にやるというのは大変な事です。

悪意満つ、娑婆(しゃば)のこの世に身を置きて、悪意に染まぬ人ぞ尊し。

娑婆(しゃば)は仏教から出た言葉で、この世は内に煩悩があり、外は苦しみを耐え忍ばなければならない俗世であるという意味です。

悪人を憎むような善人は、まだ実力の無い善人である。

私たちは、自分は良い行いをする「善人」であり、それを理解できない周りをみて「悪人」と思い込んでしまいがちです。しかし、少し謙虚な気持ちを持って、自分も悪人であると捉えてみればどうでしょう。自分は「どんなに心がけても過ちをおかしてしまう存在である(悪人)」ということが自覚できた時、はじめて謙虚になれ、周りに対して素直に頭を下げることができるようになれるのではないでしょうか。

争いは、げに山彦の木霊(こだま)かな、我が声止めば、彼も止むなり。

争う時んばいまだ足らず、譲(ゆず)る時んば余りあり。

従容録(しょうようろく)三十三則 本則評唱
従容録とは、簡単に説明すると曹洞宗の参考書のようなものです。
1123年、中国は北宋時代の編纂で、道元和尚が学んだ天童山を何代か前にさかのぼった名人師匠である宏智 (わんち) 禅師が百話を選び、それに頌なる詩文を付け加えたものが、曹洞禅の真髄として現代にも伝えられています。

有り難いと思える心が今日の幸せ。

「有り難う」と、言われるように、言うように。

人からほめられるために努力をするよりも、周りの人をほめる努力、日常の当たり前と思っている些細な事でも「ありがとう」と言う努力をしてみましょう。
相手のためにと思って投げかけた「ありがとう」が、結果的に自分も「ありがとう」と言われる存在にしてくれるでしょう。

あれは此(こ)に、此(これ)はかくにと願うとも、思い通りにならぬ世の中。

あわれみを、ものに施(ほどこ)す心より、ほかに佛の姿やはある。(親鸞上人)

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格言い

威(い)あって而(しか)も猛(たけ)からず、愛嬌あって而も諂(へつら)わず。

周囲に好かれる人には、人間的な魅力の秘密があるものです。

徒(いたずら)に枕(まくら)を照らす灯火(ともしび)も、思えば人の油なりけり。

一時一時に非を悟り、改め行くを修行と名づく。

総持寺 西有禅師

一時に懶(ものう)ければ、万事に懶(ものう)し、易(やす)きを好む人は自ら知る、道器に非ざることを。

一事を学ぶこと三年、必ず成ることあり。三年にして功なきは、その精進ならざるに依れり。

古梁紹岷

一日に一人でよい、心を込めて微笑(ほほえ)みかけよ。

今できる、今為(な)すべきを努むべし。

芋を見よ、子よ栄えよと親痩(や)せて、えぐうなったり、甘くなったり。

岩もあり、木の根もあれど、サラサラと、ただサラサラと水の流れる。

「人生には、いろいろ障害があるが、執着せず、上手にかわしながら生きていきなさい。」という禅宗の意味。

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格言う

有頂天、その絶好調が綱渡り。

打つ人も打たるる人も諸共(もろとも)に唯一時(ただひととき)の、夢の戯(たわむ)れ。

海深うして波浪(はろう)静かに、学広うして語勢(ごせい)低し。自重(じちょう)自重(じちょう)。

運は天に在りと雖(いえど)も、是(これ)を開くは腕(努力)に有り。

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格言え

益(えき)ならぬ他人(ひと)の噂をするよりも、真の道を語れ世の人。

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格言お

追い風に、任せて通す無理なれば、やがて窮(きゅう)すは、風向きの常。

横着(おうちゃく)は、佛(ほとけ)の居ない相(すがた)なり、物を活かせ、丁寧にやれ。

起き上がり小法師(こぼし)はなぜ起きる、尻に重りの石(意思)が有る。

怠(おこた)らず、行かば千里の果(は)ても見ん、牛の歩みのよし遅くとも。

たとえ牛のように歩みが遅くても、怠けずコツコツと努力を続けていれば、やがて大きな成果を得られるものだ、という例え。

行(おこな)い余力あれば、以って文(ふみ)を学ぶべし。

「若者というのは家では親孝行をして、外では年長者を敬わなければならない。さらに慎み深く誠実でありながら区別なく人々を愛し、人格者と親しく付き合って彼らを手本にしなければならない。それだけのことをした後に余力があったならば、そこで学問を学ぶべきである。」という孔子の教えです。

教えるとは、引き出すなり。無いものを与えるにあらず。

丘宗潭(おかそうたん)老師

恐ろしき、鬼の住家(すみか)を尋(たず)ぬれば、怒(いか)りし折りの我が胸に住む。

思いやる心で支える一家団欒(だんらん)。

俺が俺がの我(が)を捨てて、お陰お陰の下(げ)で暮らせ。

鎌倉時代末期、禅宗の高僧、良寛和尚の教え。

オンニコニコ、ハラタツマイゾエ娑婆訶(ソワカ)。

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